お遍路〜雑誌『四国へんろ』 インタビュー  Interview

 

雑誌『四国へんろ』2001年 8月号 より

心の道を見つける旅
癒しの実践としての四国遍路 -ティム・マクリーン インタビュー
材取・文:増田 隆
写真:菅原 功次

 

 

■ 心の中の呼び声

トランスパーソナル心理学。言葉の上では、トランス(横断する、越えて行く)・パーソナル(自分自身、自我)な側面からの心理学アプローチと捉えられる。1960年代初頭に起こった。従来の心理学が、どちらかというと病理的なものだけを見てきたのに対し、トランスパーソナル心理学は、心身健全な人、執着から解放されている幸せな人とはどういう人なのかを解き明かす研究として始まった。そういう研究では、従来の心理学に加えて、文化、伝統、宗教など、人の普遍的な歴史の部分に触れて研究していくことになるという。「小さな心の癒しの中にも、古い自分、今まで自分はこうだった、というこれまでの自分の枠を越えて理解する、そういうものを体験するというのが、トランスパーソナルな体験だといえます」


そのカウンセリングにおいては、本人が、何かが違うという疑問を抱いたり、希望を持ったり、普段の自分を越えてみたいという、心の中の呼び声がある、そういうものを応援していくのだとか。

 

 

■ 四国がある

元々四国遍路はティム・マクリーンさんも自分自身のために始めたものだった。アメリカの禅センターで得度して、日本の寺での修行も行なったが、ひとつの枠に納まりきっていることへの疑問を感じて宗派を離れた。その後、普通に結婚生活も送っていたのだが、なんとなく日常がギスギスして潤いというものがないように感じていた。そんなとき、高野山大学の百周年記念(1986年)のイベントに招碍されていた、コリン・ウィルソンやライアル・ワトソン、フリッチョフ・カプラという日本でも著名な講師陣の通訳をサポートする機会を得た。得度した頃から四国遍路という存在は知っていて憧れの道であったが、このイベントでの仕事を通して、あらためて「あ、四国があるんだ」と気付いたことになる。

 

「ハマッてますよ(笑)。こういうこと(グループ遍路の先達)を続けられるということが実にありがたいです。こういう形(四国遍路)があるから、こうして来られるんです」

 

そして自らの遍路体験で得た出会いや気付きなどを、講習会などで話しているうちに、参加者の中から「自分達もそれをやってみたい、連れて行ってもらえないか」という声が上がってきたのだという。それを受けて1993年から、ティム・マクリーンさんの先達としての活動が始まった。

 

 

■ 一人にひとつの場面

グループ遍路をしていると、不思議なことに参加者の一人一人に必ずひとつひとつの場面があるという。


「お大師さまとの出会い生言えると思います。四国でのことは私にとって心の道、みんな用意されている道なんです」

 

四国は『道』が発見し易いところなのだという。そして、トランスパーソナル、それからユング心理学では、『意味のない現象は起こらない』ということがいわれている。


「お四国のお遍路というのは生き方を教えています。一人一人の出会いは偶然ではないということ。一人で生きているのではなく、大きな流れの申で生かされているということ。そういう人間本来の生き方ですね」


そういうものを現代人が求めている。四国遍路は心理学的に見ても今の時代に大きな意味があるものだとのことである。例えば、ビジネスの中でも、いいビジネスは自分のため、相手のため、両方のことを考えて初めて生まれる。取引は平等であるということでうまくいく。そういうことに気付いてもらうためにも、会社などでのセミナーに応用できるだろうということだ。


「私にとって一番いいことは、四国が終わって日常に戻っても、へんろみちが続いていると感じることですね」


遍路は、(一般的な)巡礼や人生などの通過儀礼が段階を経て進んで行く、その成長のプロセスという普遍的な教えと、日本独自の伝統などが合致した、世界的に見ても珍しいものであるという。トランスパーソナルには『永遠の哲学』という言葉がある。成長のプロセスといった伝統の申の普遍性《例えば、今もネイティヴ・アメリカンやアイヌ、ウチナンチュ(沖縄人)の中に息づいている祈りの世界には、密教の金剛界・胎蔵界につながるような世界観が見られるという》の層、文明が発達してからの仏教やキリスト教といった世界観の層、そして心理学の層。それら三つの層が同じように『心の道』というものを伝えて行こうとしているのだという。それらは、人が生き続けている限り変わらないだろうということだ。


今の時代の心の渇き、自然破壊や、消費主義を追いかけてきた時代、つまり全体性への渇きに対する叫び声がある(そういうこと自体、偶然ではないという)。


「本来の姿から離れれば離れるほど、元に戻りたいという衝動、自分の心の道を見つけたいという衝動が大きくなります。それに対しては様々な対応の方法が有るんでしょうけど、いろんな『伝統』が考え直す時期ではないかと思いますね」


方法として四国遍路が素晴らしいのは、とにかくご縁があってとにかく歩き出しているという、その入り易さにあるのではないかという。


「とにかく歩いているのだから、誤魔化すことはできませんね。人間が歩いている限りは、この道は残るでしょう」


ネイティヴ・アメリカンの考えでは、祈りとはお願いしたり拝んだりすることではないという。自分が自分の真実を語る時、それが祈りであって、それも癒しの力。それがどんなに大変な真実であっても、真実であれば話すことで解放されるのだという考えがあるそうだ。癒しに到る道は様々で、トランスパーソナルにもいくつかの入り口はある。お遍路の場含、やはりそれに合う人がお遍路を選んで来ているという。ネイティヴ・アメリカンの手法でも、自然の真っ只中に独りで野宿するような体験を行なうものがある。


「(お遍路の場合でも)歩いていると自然との関係がはっきりします。山や海といった曼奈羅、魂が入っている都分、周りが生きているということを実感できます」

 


■ あ、そうか! という瞬間

自分が神経的に大変な状態になっている時、そういう状態は薬では治らない。薬は症状を抑える役目を果すだけである。そういう状態を、トランスパーソナルではスピリチュアル・エマージェンシー(精神的危機)と呼んでいる。『危機』という言葉には『可能性』が含まれている。状態ピしては確かに危機ではあるけれど、なおかつ時機としては成長できるという可能性を含んでいる言葉なのだ。
「迷いや悩みは無意味ではないということです。自分のこれまでの生き方は正しくなかった、だから迷うんだということですね」


今までの心理学では、そういう状態にある場合、以前の状態に戻そうとしていたために、日常がギスギスしてしまって大変になってしまうとのことだ。以前の状態に戻すということ、つまり現代社会の有り様に自分の生き方含わせようとする部分も大切かもしれないが、そういう時に、良いカウンセラーに出会えると成長のチャンスになるであろうと言う。そして、そういう苦しみの時期を自分で通過していなければ他人の苦しみもわからない、人を助けることができないだろうと言う。
「医者も自分自身の心の探求をしていなければなりません。そうですね、誰にでも闇の通過点と呼べるような.ものはあると思います」


四国は、試される場であり、目覚めに向かって行く場、その意味でまさに修行の場であり、成長のプロセスそのものを示していると言う。


「人生うきうきわくわくと、発心でね、希望を持って。でも未熟な希望を持ち続けると、だんだん世界と自分の心がずれていく。あれ? って、ずれるということでまた試されます」


ネイティヴ・アメリカンの教えでは、勇気と忍耐の力を持ち続けると、自分は何故ここに来たのかということがわかる目覚めの時が来るのだという。同行二人はお大師さんだけでなく、いろいろな伝統の中にある。


慈悲の存在が大きい。慈悲は前に自分を引っ張るものではなくて、自分が選択するとずっと待ってくれているものであるという。


「もっと迷いなさい、ということですね(笑)。あ、そうか! という瞬間が来る。その時(心の道が)作られます」


しかしあくまでも道は自分で選択しなければならない。そうでなければ本物ではないと言う。自分とお大師さんとの約束、つまり自分と自分の心との対話といったものがある。お先達のような人がいて、道しるべは出してもらえるけれど、その道は本人が見つけないといけない。ある意味で四国遍路は、現実にそこにある本物ではあるけれども、一種のシミュレーションでもある。きちんと形として残されていて学び易いところである。

 


■ 健全な感覚が残る

ティム・マクリーンさんは、普段伊豆に暮らしておられる。そして、この日も伊豆を出て、新幹線の東京駅、ふっとその瞬間が来たという。「みんな一所懸命生きてるなーって(笑)」


一歩引いて、なおかつ同じ世界にいるのだけれど、一歩引いているから、皆の一所懸命生きている姿が見える、皆がどうなっているか見えてしまうという。


「あらゆる存在が一所懸命生きている。それぞれの道があるんだということが見えてしまうんですね」


それは、世界の背後にある繋がりを見ているようだと言う。四国を白装束を着て歩いている、それも普殺の生活をしている人の間に身を置いて、その日常生活を通して歩く。朝、子供たちが学校へ行く、帰りは子供たちが「さようなら」と別れていく、そういう日常の流れを一歩引いて跳めることが遍路ではできる。


「ひとつの道で繋がってるなという感じがわかります。帰るときもその感覚が残ります。とても健全な感覚です」

 


■ 本当の目覚め

「それから団体で歩く良さというのがあります。今回も、カウンセラー、会社の杜長、学生、お母さん、おばあさん(笑)、いろんな人がいます」


そういう色々な立場の人がいるということは、それぞれの世界を一緒に持って歩くことだと言う。とにかく目的地まで助け合っていこうという気持が生まれる。最初の頃には摩擦も生まれる。昔はどうしようかと思ったこともある。それがテイム・マクリーンさんの発心でもあった。今は摩擦が生まれるのが当然だと思っている。目覚めがあって、次の大きなものを見付ける方法があって、一緒に歩んで行く仲間がいる。それは仏教が説く「仏法僧」の考えと岡じだと言う。自分と 一緒に歩む人達、それは自分の鏡となる人達である。


「そういう人達の間に活かす事ができなければ、本当の目覚めじゃないですね」


仏教では、「私」というものは存在しないという教えがある。「私」はあなたで、これもそれもみんな「私」。だから「私」は無い。執着が有る間は悩みがある。その悩みから解き放たれるためには「私」をしっかり見つめなければならない。.

 

インタビューを終えて竹林寺境内を後にしようとした時、頭上にピーヒョロローと鳶の鳴き声が聞こえた。


「ネイティヴ・アメリカンの間では、この声は出発ちにあたって、その旅しるしが良いものになるという験(しるし)です」

 

明日から始まるグループ遍路が良いものになるだろうと、ティム・マクリーンさんの顔が耀いている。

 


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